おらがんまっち

神戸地区 佐野

たてやま おらがんまっち 館山市神戸地区 佐野

地域の紹介

自慢の神輿 JR館山駅から南へ10キロほど行った、平砂浦に注ぐ佐野川の川沿いに広がる地域で、地名のおこりは砂丘から下った砂原(砂野「さの」)ともいわれています。名前の由来のとおり、平砂浦からの砂との戦いの歴史を持つ稲作地区です。明治二十年には佐野小学校が開校し、戦時中には館山海軍砲術学校が開設され、戦争遺跡が今でも多く残されています。また佐野川に生息していた「オオウナギ」は館山市の天然記念物に指定されています。最後に目撃されたのは昭和三十三年で、重さ4・3kg、胴囲26・7cm、体長1・18mのオオウナギでした。
 神社は熊野神社、寺院は千葉院があります。昔は村芝居や花火が行われた賑やかさがあり、年に五人ほど村の経費でお伊勢参りをしていました。現在は百二十一戸からなる豊かな自然に囲まれた農作地域となっています。

自慢の神輿

小脇の「昇り龍」「天の岩戸」の図を彫った胴羽目
●地区名:佐野 
●神社名:熊野神社
●地屋根:方形普及一直線型 
●屋根葺:黒漆
●蕨手:普及型 
●露盤:桝型 
●造り:白木造り
●胴の造り:平屋台 
●桝組:五行三手 
●扉:前後扉  
●鳥居:明神鳥居 
●台輪:普及型 
●彫刻師:後藤利兵衛橘義光
 佐野地区熊野神社の神輿は百二十年以上前の明治二十六年(一八九三)に製作されました。朱と黒の漆に染められた風格ある神輿です。
 その風格をさらに引き立てているのが、どれも生き生きとした姿で彫られている彫刻の数々です。これらの彫刻は房州後藤流初代・後藤利兵衛橘義光の手によるものです。
後藤義光晩年(七十九歳)の作で、その後、孫の後藤義孝によってさらに手が加えられ現在の姿に完成されました。
胴羽目、小脇、柱隠しと彫刻が並ぶ露盤に巻きつく龍の彫刻初代後藤義光刻銘と欄間彫刻

熊野神社 館山市佐野字向一八二六

熊野神社
●祭神:櫛御気野命「くしみけぬのみこと」
●宮司:藤森益樹
熊野神社●由緒
 旧神戸村の村社。昭和十六年三月十四日、神饌幣帛料供進社に指定されています。佐野地区のほぼ中央の小高い場所に位置する鎮守で、境内には文化七年(一八一〇)の文字が刻まれた灯篭があります。
また、狛犬は楠見の俵石工の作品で、昭和十三年(一九三八)、陸軍近衛歩兵と海軍機関兵(二十歳)として出征する二人の縁者の無事を祈願して奉納したものと言われています。本殿の神社額は神道家で内務大書記官の桜井能監の書とあります。社殿左の石宮は、天保二年(一八三一)に越後から来た行者量海が本願となり、乙浜村の元宮太平らが奉納したものです。奥殿は昔のままの姿が今に残されています。
熊野神社狛犬参道と鳥居

自慢の祭

威勢のよい揉み 昭和三十年代中頃以前は、十月九日に例祭が執り行われていました。それ以後に祭礼日が八月十日に変更になりました。当時は安房神社例祭へ出祭していましたが、例祭日を変更してからは佐野地区単独で祭礼を行うようになり現在に至ってます。
 祭礼の準備は地区の人たちが協力して行われますが、中心になるのは二十代から四十代までの人達で組織される「佐野青年団」です。現在は十八人と少ない団員ですが、団長を中心にまとまった組織になっています。
 神輿渡御は午後三時頃から午後九時までの予定となってはいますが、実際には時間を過ぎてもなかなか終わることはありません。
「あげー」の掛け声で高く刺す
 担ぎ棒は二本棒で、前を低くして担ぐのが佐野神輿の特徴です。威勢のいい揉み刺しを繰り返しながら広い地区内を回ります。高く刺すときの「あげー」の掛け声は、佐野独特のものです。
 近年は担ぎ手が不足していますが、手伝いの担ぎ手の方々を迎え、伝統ある佐野熊野神社の祭礼をしっかりと継承しています。


熊野神社に掛けられた長提灯熊野神社へ安房神社の神輿を迎える

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館山市神戸地区 佐野(表面) 館山市神戸地区 佐野(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。