おらがんまっち

那古地区 東藤

たてやまおらがんまっち 館山市那古地区 東藤組

地域の紹介

higasifuji_nagoji 那古地区は館山市の北部に位置し、北半分が山地で南半分が平地になっています。
 昔から那古寺の「門前町」として栄え、また、船形地区とともに房州うちわの生産地として全国に知られています。西側には那古海岸があり、まちの中央には国道が通っています。那古山の林は、今でも自然がたくさん残っていて、市の指定天然記念物になっています。山一面にスダジイの大木が茂り、山頂には和泉式部の墓と伝えられている塚があります。山頂からは鏡ヶ浦を囲む市街や対岸の三浦半島や伊豆半島、富士山も見渡すことができます。

自慢の山車(だし)

higasifuji_dasi01 那古地区で最初に山車を製作したのが東藤組です。言い伝えによると、初代は太鼓と鶏をのせた花車、二台目の豊臣秀吉車は焼失、三台目は売却、四台目も焼失し、五台目は屋台であったといわれています。従って現在の山車は六台目に当たります。
 山車の周りには初代後藤義徳の傑作と言われる、秀吉の幼少期からの出世物語の色々な場面を描いた秀吉一代記「太閤記」から取材した彫刻が施され、また下高欄台輪にも波に千鳥の地彫りや囃子座の全部の柱にも彫秀吉の山車「東藤・豊國」刻が施されています。人形は千成瓢箪と豊臣秀吉、幕は豊臣秀吉ゆかりの加藤清正の虎退治の場面を、すばらしい刺繍で表現しています。また、方向転換には梶棒の他に「キリン」という山車を自転させる仕組みが付いているのが特徴です。正面には「豊国」と刻まれた山車扁額があり、囃子台の内の奥には「協力一致」とも彫られ、東藤組の伝統の精神が息づいている自慢の山車です。その威容は山のごとしと云われ、「男山車」とも呼ばれています。

昭和11年新調となった東藤組山車

昭和11年新調となった東藤組山車

豊臣秀吉の人形

豊臣秀吉の人形






白岩弁財天社(千葉県館山市那古大字池)

祭神:宇賀神 鳥居 春日鳥居
higasifuji_04由緒:白岩弁財天の建立の時代は定かではありませんが、伝記によれば、徳川三代将軍家光の時、此の地海嘯起り現在の那古観音下一帯は海水と化し、早朝一匹の白蛇が火の玉を喰へて塩焚川をさかのぼり、大芝芝崎を区分する小川を経て当時池であった弁天裏の洞穴に姿を没したと傅えられ、人之神の使としてあがめ、ここに社を建て安芸の宮島より厳島神社の分身を受け、白岩弁財天と称し藤の木東の守護神としました。毎年十月十六日を祭日と定め、毎戸に甘酒を造り、これを供える習わしで、武運長久・家内安全・万病平癒の祈願をします。(現在の子供・大人御輿を担いでいます)
 弁天池の水質は諸病に特効ありと云われ、之を用いる者が跡を絶たず、更に洞窟に見る鍾乳石は、昭和三十一年東京大学教授穗積博士の鑑定に依り、小規模ながら関東周辺においては希に見るものとして天然記念物の申請の価値あるとされるに至りました。

地域の自慢

 那古地区の中でも青年会人数が多く、元気があるのが自慢です。特に太鼓の練習にも力を入れており、東藤バージョンの教え方が定着し、子ども達のバチさばきの上達には、目を見張るものがあります。地域内には、筋金入りの祭り馬鹿が非常に多く、まさに祭りばやしも自慢の一つです。夜の木遣りも特徴で、それを楽しみに、見学に来る人も少なくありません。
 東藤青年団の結成は、明治二十八年(一八九五年)までさかのぼります。
higasifuji_05 「一人の力は例え微力であっても、協力一致団結するならば強大となり、更に倹約を重んじて、それぞれの道に励めば、やがて国は豊かになるであろう。」
 これは、結成当時の想いを表す精神的支柱として今も大切にされている精神です。山車扁額には「豊国」が刻まれ、囃子台の内にも「協力一致」が彫られ、伝統の精神が今日まで引き継がれているのです。

那古観音まつり

higasifuji_06例祭:例祭日はもともと七月十七日(宵祭)と十八日(本祭)。十八日に祭典。祭典後に連合曳き廻しを行うという決まりになっています。現在は七月十八日以降の土・日に祭礼を開催しますが、正確な日程は毎年、総代会議で決定されます。
 東藤組に残る【當組花車及青年団沿革大要】には、「明治の新政になって、すべての人々が平等になり、當組に花車というものが造られあました。そして、これを引いて鶴ヶ谷八幡神社に参拝したのが最初です。この花車には太鼓をのせ、その上に鶴の作り物が立っているもので、最初は當組と芝崎組のみでありましたが、次に、大芝組、浜組、寺赤組、宿組と順次造られ、現在のように盛大な祭礼が営まれるようになりました。」と書かれています。
 各町独自で行っていたものを東藤、大芝、芝崎、浜の四町合同の祭りとして明治三十年(一八九七)より那古観音の縁日に合わせ、一年交代の年番町が祭礼の運営を行うなど、那古祭礼規約を定めて発足しました。その後明治四十三年に寺赤、大正十二年に宿が加盟し今日に至っています。
higasifuji_07 この祭礼の大きな見どころは、大太鼓の技を競い合うお囃子であり、六町内の山車・屋台の連合曳き廻しや、本祭の夜に那古寺境内でとりおこなわれる年番渡しの「締めことば」も有名です。

東藤組山車

higasifuji_08棟 梁 : 東藤 加藤佐一郎
人 形 : 太閤秀吉と馬印の千成瓢箪
扁 額 : 豊國(青年団結成の精神)
上 幕 : しめ縄
大 幕 : 加藤清正の虎退治( 平成14年に新調、川島織物製作)
泥 幕 : 藤の花葉に不如帰( 平成12年に新調、館山嶋屋)
彫 刻 : 太閤秀吉の出世物語、他
彫刻師 : 初代・後藤義徳(1909~1995)
人形師 : 東京 浪花屋七郎兵衛
刺繍師 : 東京 内田宗一
制作年 : 山車・人形・幕は、昭和11年
提 灯 : 藤の花葉に東
半 天 : 背に下り藤と瓢箪にあずま。襟にひがしふじ。

higasifuji_09
平成22年5月、新築になった山車小屋と東藤山車

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東藤地区(表面) 東藤地区(裏面)